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ヘリオス航空機事故の121名、絶望

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)

【2005年8月16日】

ギリシャ北部、アテネの北40キロメートルの山中に現地時間(UTC+3)の14日午後0時20分(日本時間14日午後6時20分)ごろ、墜落したヘリオス航空(キプロス)のラルナカ発プラハ行き552便(ボーイング737型機)の乗客乗員121名はほぼ絶望とみられると、NHKが報じた。

当初、墜落現場で発見されたほとんどの死体が凍っていると情報があったことなどから、墜落する前に機体が破損し、急激な減圧と温度低下が起こっていた可能性が指摘されていた。また、NHKなどによれば、捜索に出た空軍機からの目視情報として、墜落1時間前の状況が伝えられた。それによれば、操縦席に機長が見当たらず、操縦士が動かない状態だったという。また乗務員かどうか不明な人物2人が機体の制御を試みていたとも報告されている。

キプロス政府は3日間の公式の服喪を宣言し、また半旗を揚げることを命令した。

乗客

ヘリオス航空は完全な乗客名簿を提示することができず、捜査当局に姓と第1イニシャルのみを含む名簿を提出した。

キプロス通信(CNA)によれば、公式な乗客名簿がキプロスの警察当局から発表された。それによると、4歳から16歳の22人の子どもが含まれている。ほとんどの乗客はキプロス人で、若干のギリシア人乗客がおり、また操縦士の1人はドイツ人であった。

ギリシア語の名簿が、CNAにより公開されている。

ヘリオス航空側の反応

ヘリオス航空は犠牲者の親族に情報を提供したが、乗客名簿の提示が速やかに行われなかったことで非難されている。

ヘリオス航空は15日、家族に同情の念をよせる旨の声明を自社ウェブサイトに出した。

ヘリオス航空はリブラ・ホリディ・グループの子会社でキプロスが本拠地。1999年に創設された、キプロスで最初の独立系航空会社である。ボーイング737型を4機保有し、キプロスとロンドン・アテネ・ソフィア・ワルシャワ・ダブリン・ストラスブールを結ぶ便を運行している。

英語版ウィキニュースの翻訳を含みます。

関連項目

外部リンク

出典

|title=«Det er kaldt her. Pilotene er blå i ansiktet» |author=MORTEN ØVERBYE, JULIE HÆHRE |pub=VG Nett |date=August 14,200


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