訃報 梅棹忠夫氏 - 民族学者、国立民族学博物館初代館長
【2010年7月8日】
「文明の生態史観」など独創的な文明論で知られ、国立民族学博物館の初代館長を務めた民族学者の梅棹忠夫(うめさお・ただお)氏が7月3日午前11時7分(UTC+9)、老衰のため大阪府内の自宅で死去した。90歳だった[1][2][3][4]。
1920年、京都市に生まれる。旧制第三高等学校在学中、中学校時代の先輩だった人類学者・今西錦司氏らと登山や探険に熱中した[3]。京都大学では理学部動物学科で[1]動物生態学を専攻し[3]、中国東北部大興安嶺や内モンゴルなどを探険した[1][3]。
戦後は、大阪市立大学助教授を務めていた1955年に京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊に参加した[1][3][4]ことをきっかけに文化人類学・民族学専攻に転じ[1][2][4]、世界各地を調査[1]。1957年に発表された「文明の生態史観」は、従来のヨーロッパ中心の世界観と一線を画す独自の視点で注目を浴びた[1][3][4]。他の著作に「知的生産の技術」(1969年)など[1][2][3][4]。
また、文化人類学・民族学の調査拠点となる国立民族学博物館の設立にも尽力し[1][2]、1974年に同館の初代館長に就任した[1][2][3]。この功績により1987年には朝日賞を受賞[3]。1993年に退任してからは同館の顧問を務めていた[2]。
1986年に視神経の病気のため[2]失明するが[1][2][3][4]、以降も執筆意欲は衰えず、1994年に「梅棹忠夫著作集」(全23巻[3]、うち別冊1巻[1])を完成させた[3]。1991年に文化功労者に選ばれ[1][4]、1994年に文化勲章を受賞[1][2]。2004年には肺癌などの手術を行い[2][3]、2005年には脳梗塞を発症したが、リハビリを続け復帰[2]。今年春まで国立民族学博物館に顔を見せていたという[3]。
情報源
[編集]本ニュースは「毎日新聞」と「時事通信」、「朝日新聞」、「東京新聞」の以下の報道を情報源としている。
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 毎日jp 『訃報:梅棹忠夫さん90歳=文化人類学「文明の生態史観」』 — 毎日新聞社, 2010年7月6日
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 時事ドットコム 『梅棹忠夫さん死去=「文明の生態史観」で反響-民族学研究の第一人者』 — 時事通信社, 2010年7月6日
- ↑ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 3.13 asahi.com 関西 『民族学者で文化勲章受章者の梅棹忠夫さん死去、90歳』 — 朝日新聞社, 2010年7月6日
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 TOKYO Web 『梅棹忠夫さん死去 90歳、民族学者』 — 東京新聞社, 2010年7月6日