訃報 平木隆三氏 - 元名古屋グランパス初代監督
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【2009年1月3日】 毎日新聞によると、サッカー日本代表の選手・コーチ、またJリーグの名古屋グランパス初代監督も努めた平木隆三氏が1月2日、重症肺炎で死去した。77歳だった。
時事通信と毎日新聞によると、平木氏は大阪府出身。岸和田高校から関西学院大学などを経て、古河電工(現・ジェフユナイテッド千葉)の選手となる。1956年のメルボルン五輪、1964年東京五輪では選手として活躍し、1964年のそれにはベスト8に輝いた。その後1968年メキシコ五輪ではコーチとして銅メダルに導く。その後日本ユース代表の監督にもなった。そして1993年にJリーグの名古屋グランパス初代監督に就任し、1年だけ指揮を執った。
日刊スポーツによると、同じ大学・会社で1年先輩にあたる故・長沼健氏を側面から支援し、1980年代のサッカー低迷期の時代には各種サッカー中継の解説を担当した。
出典
[編集]- 毎日jp 『訃報:平木隆三さん77歳=名古屋グランパス初代監督』 — 毎日新聞, 2009年1月3日
- 時事ドットコム 『平木隆三氏死去=J1名古屋の初代監督』 — 時事通信社, 2009年1月2日
- nikkansports.com 『平木隆三氏が死去メキシコ五輪銅のコーチ』 — 日刊スポーツ, 2009年1月3日