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訃報 ラッシャー木村氏 - プロレスラー

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)

【2010年5月25日】 中日スポーツによると、プロレスラーラッシャー木村氏(本名・木村雅雄)が5月24日午前5:30(UTC+9)、腎不全に伴う誤嚥肺炎のため東京都内病院で死去した。68歳。

中日スポーツによると、木村氏は北海道出身。大相撲力士として活動した後1964年に日本プロレス入門。その後は全部で7つのプロレス団体に移籍し続けた。中でも国際プロレスでは1970年に日本初となる「金網デスマッチ」を開催し、そこで連戦連勝を重ね「金網デスマッチの鬼」といわれた。1981年に国際プロレスが崩壊後、新日本プロレス田園コロシアム大会に出場し、アントニオ猪木選手への宣戦布告をしようとした時「皆さんこんばんは」と挨拶し爆笑を誘ったといわれている。

スポーツニッポンによると、その後移籍した全日本プロレスではジャイアント馬場選手と当初ライバル関係だったが、1988年の世界最強タッグ決定戦で馬場氏を「アニキ」と呼んだ事から「義兄弟タッグ」を結成し、「悪役商会」とのユーモアあふれる試合を行ったり、マイクパフォーマンスで人気を集めた。その後ノアの旗揚げ(2000年)にも参加し、還暦を過ぎても試合に出続けたが、2003年の体調不良以後試合を欠場。復帰を目指してリハビリテーションを続けたが腰を痛めたことで復帰を断念。2004年の東京ドームでの大会で引退発表した。

スポーツニッポンによると、木村氏は最近糖尿病を患って病院を入退院し続けたが、2009年急逝した三沢光晴選手の密葬には車椅子で参列。「なんで俺じゃなくて社長(三沢氏)が先に逝ってしまったんだ」と号泣したという。

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