訃報 ジョセフ・ロートブラットさん
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【2005年9月3日】
イギリス国籍の物理学者で平和運動家のジョセフ・ロートブラットさんが8月31日夜(英国夏時間、UTC+1、日本時間9月1日午前)、ロンドンで死去した。96歳だった。ロートブラットさんは第2次世界大戦中、米国での原爆製作「マンハッタン計画」に参加、後年は核軍備競争に反対する運動家として象徴的存在となった。
ロートブラットさんは1908年ポーランド生まれでユダヤ系。ワルシャワ大学を卒業し、同大学の教員となる。のち1939年イギリスに留学中、第2次世界大戦が始まり、そのままイギリスにとどまることになった。米国政府によるマンハッタン計画に参加したが、当時のドイツ政府が原爆開発を行う可能性がほとんどないことに気づいた後、マンハッタン計画から離れた。ロートブラットさんはマンハッタン計画から離脱した唯一の物理学者となった。
1957年に科学と国際情勢の関係を扱うパグウォッシュ会議の創設に参加した。パグウォッシュ会議は核軍縮を呼びかけ、また国際紛争の防止にかかわる科学者の協調に寄与した。
1995年、ロートブラットさんとパグウォッシュ会議はノーベル平和賞を受賞した。受賞理由として「核兵器が国際政治で果たす役割を減少させ、長期的には核兵器廃絶を実現するために努力した」ことが挙げられた。ロートブラットさんは、受賞スピーチで、パグウォッシュ会議の目標が実現したのは、域内で戦争を行うことが考えがたいヨーロッパ連合の網の目のような構成に注目したことによると述べている。
英語版ウィキニュースの翻訳に基づきます。
出典
- Matt Moore "Nobel Peace Prize Winner Rotblat Dies". Associated Press, September 1, 2005
- 『核廃絶に生涯、ノーベル平和賞のロートブラット氏死去』 — 読売新聞, 2005年9月1日