訃報 アブドゥルラフマン・ワヒド元インドネシア大統領
【2009年12月31日】
インドネシアのアブドゥルラフマン・ワヒド元大統領が12月30日(UTC+7)、首都ジャカルタ市内の病院で死去した。69歳だった[1][2][3]。詳しい死因などは明らかにされていないが[2]、糖尿病の合併症により25日から入院治療中で、30日に容態が悪化したという[2][3]。
1940年、東ジャワ州に生まれる[1][2]。 インドネシアの穏健派イスラム教組織「ナフダトゥル・ウラマー」(NU)創設者の孫にあたり、エジプト・イラクなどの大学でイスラム法などを学ぶ[2][3]。1984年にNU議長に就任し、スハルト独裁政権崩壊後の1998年に「国民覚醒党」を設立。同党は1999年6月の総選挙で第4党となった[2][3]。
スハルト政権時代の流れを汲む政治からの脱却を期待され[1]、1999年10月にインドネシアでは初めて民主的な手続きを経て大統領に就任[1][2][3]。1978年に起こしたバイク事故による左目の負傷や糖尿病を原因とする視力障害[3]、脳卒中の後遺症などを患いながら執務に当たる姿で国民の共感を得た[1]。スハルト元大統領の不正蓄財の追及や、民主化の推進に取り組んだが、自身の政治資金横領疑惑などが浮上して求心力を失い[1][2][3]、2001年7月に国民協議会が行った弾劾審議により解任された[2][3]。
インドネシアのユドヨノ大統領はワヒド元大統領の死去を受けて声明を発表、「国民が、第4代大統領のワヒド氏に最大の敬意を払うよう求める」と述べ、12月31日から1週間半旗を掲げるよう国民に求めた[4]。ワヒド元大統領は、東ジャワ州で国葬にされるという[4]。
情報源
[編集]本ニュースは「朝日新聞」と「共同通信」、「読売新聞」、「産経新聞」の以下の報道を情報源としている。
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 asahi.com 『インドネシア・ワヒド元大統領が死去』 — 朝日新聞社, 2009年12月30日
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 47NEWS 『ワヒド元大統領死去 インドネシア、69歳』 — 共同通信社, 2009年12月30日
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 YOMIURI ONLINE(林英彰) 『ワヒド元インドネシア大統領死去』 — 読売新聞, 2009年12月31日
- ↑ 4.0 4.1 msn産経ニュース 『1週間、半旗を掲揚 インドネシア』 — 産業経済新聞社, 2009年12月31日