短信:2015年/9月/23日
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- (スポーツ・ひと)労組日本プロ野球選手会事務局長を務め、2004年のプロ野球再編問題を初めとする様々な球界の諸問題に陣頭指揮を執った、松原徹氏が死去していたことが9月21日までにわかった。58歳。松原氏は1981年、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の管理職員として入団。同球団1軍マネジャーを経て、1988年に当時中日の内野手だった落合博満氏の薦めでプロ野球選手会に参加し、2004年のプロ野球再編問題などで手腕を発揮、その後ガンを患っていたことが分かり、抗がん剤治療を受けながら、仕事をこなし続けた。今年選手会30周年を記念する祝賀会を11月に予定しており、マスコミとの懇親会で「祝賀会への参加を楽しみにしている」とあいさつしたが、それを叶えることなく亡くなった - 日刊スポーツ
- (スポーツ・ひと)阪神タイガースゼネラルマネジャー(GM)の中村勝広氏が9月23日、東京都内のホテルで心肺停止状態で見つかり、死去していたことが分かった。66歳。中村氏は1971年、ドラフト2位指名を受けて早稲田大学から阪神に入団し、2塁手として活躍。1982年の現役引退後は2軍監督、1軍監督を歴任し、1992年にはリーグ2位に入ったが、それ以後は低迷、1995年のシーズン途中で事実上辞任。その後2003年からオリックスブルーウェーブ(現・バファローズ)のGMとなり、2006年に監督就任も1年で成績不振により辞任。2012年から阪神タイガースのGMを務めていた - スポーツニッポン