戦後60年、各地で行事

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)

【2005年8月15日】

日本では太平洋戦争の終結とみなされている、無条件降伏発表から60年にあたる15日、日本各地で行事が行われた。

小泉純一郎首相は、談話を閣議決定し、植民支配と侵略について「あらためて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」と述べた。首相は、靖国神社参拝を15日には行わない見通しであることを、前日までに明らかにした。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」所属の47人や石原慎太郎東京都知事らは、15日に靖国神社に参拝した。

日本政府主催の全国戦没者追悼式は東京の日本武道館で行われ、天皇、皇后、小泉純一郎首相、扇千景参議院議長、最高裁判所長官、政党代表、遺族ら約7,500人が参列。正午に黙祷を行った。

厚生労働省のまとめでは、全国37の都道県で追悼行事が行われている。

一方、「自主平和統一のための8・15民族大祝典」に参加している大韓民国朝鮮民主主義人民共和国他の国の代表は、日本政府に対し、過去史の歪曲を今すぐ中断せよなどとした声明を発表したと、朝鮮日報が伝えた。

全国戦没者追悼式

今年の「全国戦没者追悼式」には、追悼式の開催以来初めて戦没者の父母の参列がなかった。

午前11時50分から日本武道館で例年通り開かれた。今年の追悼式には、遺族約5,700人の他に、小泉純一郎総理、天皇皇后扇千景(おおぎ ちかげ)参議院議長、町田顯(まちだ あきら)最高裁判所長官、大臣、政党の代表、国会議員、知事、都道府県議会議長など1,800人が参列した。なお、先の衆院解散を受けて衆議院議長は空席となったが、追悼式で三権の長のひとりが欠けたのは今回が初めて。

追悼式は、初めに尾辻秀久(おつじ ひでひさ)厚生労働大臣の先導で天皇・皇后が入場し、君が代を斉唱した。

「式辞」で小泉総理は「(戦没者)の尊い犠牲の上に、今日の平和は成り立っていることに思いを致し、衷心からの感謝と敬意を捧げます。」「先の大戦において、わが国は多くの国々、とりわけアジアの諸国民に対しても、多大の損害と苦痛を与えました。内外の戦没者及び犠牲者の御冥福を心よりお祈り申し上げます。」「各国との友好関係を一層発展させ、平和を大切にする国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります。」と読み上げた。

正午から1分間の「黙とう」に続き、天皇が「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。」と戦没者に「追悼の意」を表し、「世界の平和と我が国の一層の発展」を祈った。

「追悼の辞」で、扇参議院議長は、「今日の平和と繁栄の礎には、戦争の犠牲となった多くの方々の尊く重い存在と、廃虚の中で積み重ねられた国家の再建に向けたたゆまぬ努力とがある。このことを決して忘れてはならない、あの戦争を経験した者の1人としてあらためて訴える」と話した。戦没者遺族代表の依光隆夫さん(高知県)は「皆さま方が何よりも願われた平和と自由を守り通し、ご遺志にお応えすること」を誓った。

「天皇皇后両陛下御退場」の後の「献花」で、小泉総理、扇参議院議長、町田長官、各政党代表、尾辻大臣、地方自治体の代表、日本遺族会の古賀誠(こが まこと)会長、日本商工会議所の山口信夫(やまぐち のぶお)会頭、連合の笹森清(ささもり きよし)会長、日本学術会議の黒川清(くろかわ きよし)会長、日本新聞協会の箱島信一(はこしま しんいち)会長、日本宗教連盟の白柳誠一(しらやなぎ せいいち)理事長、遺族代表が献花した。

追悼式は、午後0時50分に閉式した。

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