下関駅で放火事件、74歳の男逮捕

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)

【2006年1月8日】

山口県の位置
下関市の山口県内での位置
下関駅(資料)

1月7日午前2時過ぎ、山口県下関市にあるJR西日本下関駅構内で火災が発生し、木造駅舎と構内の飲食店、駅舎南隣の下関地域鉄道部下関乗務員センターなど、中日新聞によれば約3,000平方メートル、読売新聞によれば約4,000平方メートルを焼いて同日午前5時ごろ鎮火した。この火災で下関警察署は、同日放火の容疑で74歳の無職の男を逮捕した。

読売新聞によると、逮捕されたのは住所不定・無職の福田九右衛門(ふくだ・きゅうえもん)容疑者(74歳)で、下関警察署は火災発生後に駅から約350m離れた駐車場にいた福田容疑者に任意同行を求め事情聴取し、福田容疑者は「腹が減ってムシャクシャした」として、自らの持っていたライターで紙を燃やした上で駅舎近くの倉庫付近で放火したことを認めている。

福田容疑者は、この日福岡県北九州市から中国地方方面に在来線を使って移動中で、前日の午後7時ごろに乗り継ぎのため同駅に到着していた。福田容疑者は2001年4月にも北九州市内のアパートで放火未遂事件を起こし逮捕・服役していたが、先ごろ出所したばかりだったという。

中日新聞によれば、この火事で1942年に建築された木造駅舎が全焼したほか、読売新聞によれば出火したプレハブ倉庫、下関乗務員センター、周辺の飲食店などを焼いた。駅舎と乗務員センターには運転士を始めとするJR西日本の職員35人と清掃作業員3人がいたが、避難したため無事だったほか、駅構内のホームや線路、架線などの被害は確認されていない。しかし駅舎内の列車無線通信ケーブルや電話線などが燃えており、同駅に乗り入れている山陽線山陰線の列車は1月7日始発以後乗り入れを見合わせた。また同日早朝に到着予定だった寝台特急も途中の駅で運行を中止し新幹線などでの代行輸送を行った。

読売新聞やフリー百科事典『ウィキペディア』によると、下関駅は1901年に山陽鉄道「馬関駅」(ばかんえき)として開業し、1942年に関門鉄道トンネルの開通に伴って現在の竹崎町に移動。1日当たりの乗降客数は2万4,000人である。また近年、大型商業施設「シーモール下関」が駅のすぐ側にできていた。

列車運行状況

消失前の下関駅駅舎(2003年)(GFDL)
  • 火災が起きた7日は、山陽本線 門司~小月間と山陰本線 下関~長門市間で不通になり、バスによる代行輸送を実施。寝台特急も途中の駅で運転を中止し、寝台特急に乗っていた乗客は新幹線に乗り換えた。
  • 8日の不通区間の運行については、山陽本線 下関~小月間は1時間に1本程度運転し、山陰本線 下関~長門市間は2~3時間に1本運転している。山陰本線については、同区間でバス代行を実施する。9日始発から通常運転に戻る見通し。
  • 山陽本線 門司~下関間は、8日から通常運転を行っている。下関~小月間は本数を減らして運転しているので、下関以東に直通する列車に区間運休が出ている。9日始発から通常運転に戻る見通し。

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