三笠宮寛仁殿下逝去

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)
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寛仁さま(2003年 ライオンズクラブ記念講演会にて)
幼少期の寛仁さま(左 1950年ごろ)

【2012年6月6日】

産経新聞、読売新聞によると、「ヒゲの殿下」[1]として親しまれてきた三笠宮寛仁(ともひと)親王殿下が6月6日午後3:35、千代田区病院で逝去された。66歳だった。

産経によると、寛仁さまは1946年生。昭和天皇の末弟である三笠宮家崇仁親王殿下のご長男で、天皇陛下従兄弟(いとこ)に当たる。戦後の日本皇族方で初となる国外留学でオックスフォード大学に行かれている。1980年には吉田茂元総理の孫・信子さまとご結婚され、ご長女とご次女を出産された。

産経と読売によると、その後、1991年以後の治療・手術を受けられたが、昨年12月、右の下顎に腫瘍が見つかって、今年になってからのど口腔(こうくう)の右側、首の両側のリンパ節の切除を受け、その後も物がうまく飲み込めないため3月に再手術を受けたが[1]、6月1日に口内からの出血が確認され、また5日にも腎臓呼吸器系の機能・意識レベルも低下していた[2]

時事通信によると、寛仁さまは障害者福祉やスポーツ、青少年の育成などの普及・振興に尽力を注ぎ、特にスキーの指導などを通した身障者の福祉に貢献。1982年には皇族離脱を宣言したこともある他、ラジオディスクジョッキー雑誌で皇族論を初めとしたユニークな論評をしていた。また産経によると、1991年の癌公表の際、がん告知の議論にも一石を投じた。

FNNによると、寛仁さまの危篤・逝去を受け、寛仁さまが入院なされていた病院には、ご家族や一般人・報道関係者が多数つめかけ、ご長女の彬子(あきこ)さまはポーランドへの歴訪を急遽切り上げて6月6日に帰国後病院に訪れた。また寛仁さまの母百合子さまも寛仁さまの最期を看取られたとみられる。

読売によると、寛仁さまの死去により、皇族構成員は22人で、継承順位としては寛仁さまの実弟である桂宮(かつらのみや)さまが6位に繰上げとなる。また産経によると、ご葬儀に相当する「斂葬の儀(れんそうのぎ)」は豊島岡墓地文京区)で執り行われる予定である。

情報源[編集]

  1. 1.0 1.1 読売より
  2. 産経より