ラドヴァン・カラジッチ被告を逮捕。ボスニア紛争中の虐殺を指揮したセルビア人勢力の最高指導者

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)
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【2008年7月22日】

セルビア共和国の大統領ボリス・タディッチ氏がセルビア時間の2008年7月21日夜、ラドヴァン・カラジッチ被告を逮捕したと発表した[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]。 ラドヴァン・カラジッチ被告は1992年から1995年にかけてのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のセルビア人勢力スルプスカ共和国の最高指導者であり、紛争中に各地で発生したボシュニャク人などの他民族に対する虐殺、特に7500人以上が殺害されたスレブレニツァの虐殺を指示した[2]ことによりジェノサイドの容疑で旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷から訴追されている人物である。カラジッチは1996年以来、姿をくらませていた[1]

カラジッチ被告が逮捕された日時や場所は明らかにされていないものの[1]、Beta ニュース・エージェンシーは「信頼できる情報源」によると、7月21日の月曜日にベオグラードで逮捕されたとしている[1]。セルビアの特別裁判所は軍警察(Žandarmerija)によって護衛されており、またカラジッチ被告の兄弟であるルカ・カラジッチ氏(Luka Karadžić)が裁判所に入っていくところも確認された[1]

オランダハーグでは、旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷の検察長セルヘ・ブランメルツ(Serge Brammertz)氏がこのことに関して「歓迎する。」「これは、10年以上にわたってこの日を待ち続けていた虐殺の犠牲者たちにとって非常に重要な日だ。」と話し[1][2][4]、セルビアの国際戦犯法廷に対する協力のマイルストーンであるとした[2][7]

デイトン合意を実現させたアメリカ合衆国の外交官リチャード・ホルブルック(Richard Holbrooke)はBBCに対して、カラジッチを「世界最悪の人物の一人、ヨーロッパのビンラディン」と呼び[2][3]、「カラジッチ被告なくして虐殺は成り立たなかった」と話し[4][7]、その逮捕を歓迎した。

アメリカのワシントンに駐在するセルビアの外交官ヴラディミル・ペトロヴィッチ氏(Vladimir Petrović)は、「セルビアが国際的義務を全面的に遂行した事例であり、今後もセルビアは国際法廷への協力を続ける」と話した[4][7]

ボスニア・ヘルツェゴビナサラエヴォでは、多くの市民たちがこのニュースを歓迎し、カラジッチ被告逮捕を祝った[2]。ある市民は「最高の出来事だ。至るところで人々が出来事を祝っているのがわかるだろう。私は家族全員を起こしたよ。」と話した[2]

残された逃走中の「大物」戦犯には、虐殺を現場で指揮したセルビア人勢力の将軍ラトコ・ムラジッチ被告と、クロアチア領内でのクロアチア人に対する迫害を行ったクライナ・セルビア人共和国の指導者ゴラン・ハジッチ被告(Goran Hadžić)が残されている[1]

出典[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 B92 『Radovan Karadžić arrested』, B92、2008年7月22日。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 BBC 『Serbia captures fugitive Karadzic』, BBC、2008年7月22日。
  3. 3.0 3.1 javno 『Top War Crimes Fugitive Karadzic Arrested』, javno、2008年7月22日。
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 CNN/AP 『ボスニア紛争戦犯のカラジッチ被告拘束』, CNN、2008年7月22日。
  5. 石黒穣 『ボスニア内戦の戦犯・カラジッチ被告、セルビア国内で逮捕』, 読売新聞、2008年7月22日。
  6. 関本誠 『カラジッチ被告を拘束 ボスニア紛争時の「大物戦犯」』, 朝日新聞、2008年7月22日。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 CNN 『Bosnia war crime suspect Karadzic arrested』, CNN、2008年7月22日。

外部リンク[編集]