プロ野球・福岡ソフトバンク王監督、2008年限りで退任
【2008年9月26日】
9月23日 (UTC+9) 、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督(68歳)が2008年度シーズン限りで監督を勇退することを福岡市内で発表した。同球団公式ページが伝えた。
同球団公式ページは、以前から辞意を表明していた王監督とそれを慰留していた孫正義オーナーが23日午前に会談を行い、同日の試合終了後に引退発表することを決定したとしている。
9月23日の西日本スポーツによれば、王氏は巨人軍の選手・監督として活躍した後、1994年、当時の中内功[注釈 1]オーナー(故人)の招きで当時の福岡ダイエー監督に就任。1999年の福岡初優勝を含め、パ・リーグ公式戦3回、日本シリーズ2回の優勝に導いた。また、監督在任中の2006年には胃の摘出手術を受けている。
球団公式ページに掲載された記者会見では、王監督は2006年の手術以降体力の衰えを感じ「指揮に影響するという想いが強くなりました」としている。西日本スポーツでは、2006年に受けた胃の摘出手術が影響して2008年8月14日に行われた千葉ロッテ戦を欠場するなど、健康上の障りがあること。またチームも23日現在ではリーグ5位と低迷にあえいでいる事から、引退する決意を固めたと分析していた。
日本プロ野球名球会のウェブサイトによると、王監督は早稲田実業に在学時、甲子園に春夏4回出場。1957年、春の甲子園大会では同校として初の優勝を飾る。1959年に読売巨人軍へ入団。「一本足打法」を習得後、1964年に1シーズン55本塁打を記録、また2年連続(1973年・1974年)で三冠王にも輝いた。1974年には2000本安打を達成。1977年9月3日、本塁打756号を打ち、ハンク・アーロンを抜いて世界一となる。記録を868号まで伸ばし、1980年に現役を引退。翌年に読売巨人軍助監督、1984年からは読売巨人軍監督として1988年まで指揮を執った。1995年、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の監督に就任し、福岡ソフトバンクへの変更後も引き続いてチームを率いた。生涯打率は3割1厘。
注釈
[編集]出典
[編集]- 田尻耕太郎(ホークスオフィシャルメディア) 『王監督が辞意表明会見を行いました』 — 福岡ソフトバンクホークス, 2008年9月23日
- 『王監督勇退 今季限りで』 — 西日本スポーツ, 2008年9月23日18時07分(UTC+9)
- 『王貞治』 — 日本プロ野球名球会, 2008年9月26日閲覧