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オグリキャップの七回忌法要が実施される

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)

【2016年7月5日】

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オグリキャップ(2008年撮影)CC BY-SA 3.0

2016年7月3日に、競走馬であったオグリキャップ七回忌法要が実施された[1]

オグリキャップは2010年7月3日に右後肢の骨折により25歳で馬生を終えている[1]。オグリキャップの馬生を追うと、オグリキャップは1987年5月に笠松競馬場でデビュー戦を行ったのち、12戦10勝という戦績で活躍し中央競馬へ転籍する[2]。中央競馬へ移ったのちも重賞を連勝するなど劇的な活躍を見せて「白い怪物」の異名を轟かせ、1970年台に一世を風靡したハイセイコーを超える競馬ブームを創り上げた[2]。引退競走となった有馬記念で勝利を果たしたときにはファンから「オグリコール」をもって別れが惜しまれた[2]。地元の笠松競馬場でも1991年1月に引退式を行ったときには、競馬場を超えて木曽川堤防沿いにまでファンが連なりオグリキャップが見送られたという[2]。引退後も2005年の「オグリキャップ記念」でオグリキャップが再び笠松競馬場を訪れ、廃止の危機に瀕した笠松競馬場の存続に貢献した[2]


オグリキャップの七回忌法要は北海道新冠町にある「優駿メモリアルパーク」にて実施された[1]。 七回忌法要には初代オーナーであった故小栗孝一氏の関係者やオグリキャップを生産した稲葉牧場の関係者、オグリキャップが種牡馬生活を過ごした優駿スタリオンステーションの関係者、さらにオグリキャップのファンを含めて100人におよぶ参列者が集った[1]。(株)優駿の須崎孝治代表取締役からは「忘れられない永遠のスター」とオグリキャップの功績が称えられた[1]。現在ではオグリキャップのブロンズ像が優駿メモリアルパークに建立されている[1]。また笠松競馬場にもオグリキャップ像が在り、現在でもファンに向けて在りし日の姿を示し続けている[2]

情報源

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 オグリキャップの七回忌法要が営まれる』 — 競走馬のふるさと案内所, 2016年7月4日
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 ハヤヒデ 『7月3日はオグリキャップの命日』 — 岐阜新聞, 2016年6月30日

外部リンク

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