訃報 林忠四郎氏 - 宇宙物理学者
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【2010年3月3日】
宇宙物理学者で京都大学名誉教授の林忠四郎(はやし・ちゅうしろう)氏が2月28日午後3時(UTC+9)、肺炎のため京都市伏見区[1][2]の病院で死去した。89歳だった[1][2][3]。
京都市出身[1][2][3]。1942年に東京帝国大学[1]理学部を卒業[2]。1945年に[2]湯川秀樹博士の門下生となり[1][2][3]、京都大学助教授を経て[1][2]1957年より京都大学理学部教授、1977年より同学部長に就任[3]。1984年まで教職を務めた[2]。
1950年に元素の起源についての理論「アルファ・ベータ・ガンマ・ハヤシの理論」を発表するなど原子核物理学を研究した一方、宇宙物理学の研究も手がけた[1]。天文学に基礎物理学の理論を導入し[2]、宇宙の初期における元素形成、太陽系の起源、銀河系の形成などの分野で研究を行った[2][3]。星の誕生から死に至るまでの進化過程を研究する分野においては、進化の過程できわめて強く輝く「林フェイズ」と呼ばれる時期が存在することを理論的に解明し、世界的に高い評価を受けた[2][3]。
1970年、イギリス王立天文学会のエディントン・メダルを日本人として初めて受賞[1][2]。1982年に文化功労者に選ばれ、1986年に文化勲章を受賞[1][2]。1995年に京都賞基礎科学部門受賞[2]、2004年には太平洋天文学会のブルース賞を日本人で初めて受賞した[1]。日本学士院会員[1][2]。
情報源
[編集]本ニュースは「共同通信」と「京都新聞」、「時事通信」の以下の報道を情報源としている。
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 47NEWS 『林忠四郎氏死去 京都大名誉教授』 — 共同通信社, 2010年3月1日
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 The Kyoto Shimbun Web News 『林忠四郎氏が死去 天文学に物理学導入、京大名誉教授』 — 京都新聞社, 2010年3月1日
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 時事ドットコム 『宇宙物理学者の林忠四郎氏死去=恒星進化の理論で業績』 — 時事通信社, 2010年3月1日