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産経新聞によれば、2001年に咽頭がんが見つかっていた。読売によれば、今年になってからは指揮をするときに車いすを使っていた。 |
産経新聞によれば、2001年に咽頭がんが見つかっていた。読売によれば、今年になってからは指揮をするときに車いすを使っていた。 |
2006年6月15日 (木) 06:34時点における版
【2006年6月15日】
指揮者の岩城宏之氏が、13日午前0時20分 (UTC+9) に心不全のため亡くなった。73歳だった。
朝日新聞によれば氏は1932年東京都生まれ。読売新聞によれば東京芸術大学器楽科在学中、1954年にNHK交響楽団の副指揮者に就任。1956年にデビューした。日本経済新聞によれば1969年以降正指揮者の地位にあった。
朝日によれば、1977年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を日本人として初めて指揮した。日経によれば、メルボルン交響楽団の首席指揮者、桂冠指揮者もつとめた。
また、読売によればオーケストラ・アンサンブル金沢を1988年に設立し、音楽監督をつとめた。
朝日、日経によれば、サントリー音楽賞、朝日賞、紫綬褒章、日本芸術院恩賜賞、日本エッセイストクラブ賞などを受賞。日本芸術院会員。東京混声合唱団の音楽監督などを歴任した。
産経新聞によれば、2001年に咽頭がんが見つかっていた。読売によれば、今年になってからは指揮をするときに車いすを使っていた。
出典
- 『指揮者の岩城宏之さん死去 エッセーでも活躍』 — 朝日新聞, 2006年6月13日
- 『指揮者の岩城宏之氏が死去』 — 日本経済新聞, 2006年6月13日
- 『指揮者・岩城宏之氏が死去』 — 読売新聞, 2006年6月13日
- 『指揮者の岩城宏之氏が死去 海外でも高い評価』 — 産経新聞, 2006年6月13日
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