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訃報 村山富市元首相

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)
2015年11月、村山富市氏(左)と岡部芳彦氏

【2025年10月17日】

1994年から1996年にかけて内閣総理大臣(第81代)を務めた村山富市氏が10月17日、老衰のため死去した。101歳だった[1]

村山氏は1924年、大分市出身。大分市議会議員を2期、大分県議会議員を3期務めたのち、1972年の衆議院総選挙で旧大分県第1区から初当選し、以後8期連続で議席を維持した[2]

1993年9月、細川護熙連立政権下で社会党第13代委員長に就任。当時の新生党代表幹事・小沢一郎氏らとの政策運営をめぐり意見の相違が生じ、社会党は連立から離脱。その後、羽田孜内閣の総辞職を経て、自民党新党さきがけによる要請を受けて連立政権を樹立し、終戦直後の片山哲氏以来となる社会党出身の首相に就任した。

就任後は、党の従来方針を見直し、日米安全保障体制の維持や自衛隊の合憲性を認める立場を示した。1995年には戦後50年を機に「村山談話」を発表し、アジア諸国への「痛切な反省と心からのお詫び」を表明した。また、被爆者援護法の制定や水俣病未認定患者の救済などにも取り組んだ。一方で、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件の際の政府対応をめぐっては、危機管理体制への批判も受けた[3]

1996年1月の首相退任後、社会民主党初代党首に就任。同年9月、民主党結成により多数の議員が離党したことから、党の分裂の責任を取って退任。その後は特別代表として活動を続け、2000年に政界を引退した。引退後も、慰安婦問題など戦後補償に関する課題に関わり続けた[4]

情報源

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  1. FNNプライムオンラインより
  2. 読売新聞より
  3. 時事通信より
  4. 朝日新聞より