訃報 鬼頭政一氏 - 元クラウンライオンズ監督

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)

【2009年4月11日】 読売新聞によると、プロ野球で選手・監督を歴任した鬼頭政一(きとう・まさいち)氏が2008年11月4日に、肝臓癌で死去していたことが明らかになった。88歳。

西日本スポーツによると、鬼頭氏は名古屋出身。日本大学付属第3中学校(旧制。現在の日本大学付属第3高等学校)から1940年に地元の名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)入団。その後はライオン→朝日軍に移籍したのち、戦後は社会人チームの八幡製鉄(現・新日鉄八幡)を経て1950年に結成された西鉄クリッパーズ(1951年にライオンズへ改称。現・埼玉西武)でプロ球界へ復帰。その後近鉄パールズに移籍し1958年まで内野手・外野手で活躍。実働12年間で713試合出場・511安打、打率0.239、19ホームラン、220打点を挙げた。

その後柳川商業高校(現・柳川高校)の監督など、アマチュア野球の指導者として活躍した後、1968年に西鉄のコーチとして再度プロ野球に復帰し、1976年から2年間は西鉄から経営権を受け継いだ太平洋クラブ→クラウンライターの監督。更には野球解説者を担当した。読売によると、後年は福岡県内に住み、九州六大学選手権リーグに在籍する九州大学野球部でアドバイザーを担当していた。

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