訃報 立川談志氏 - 落語家、政治家

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)

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【2011年11月24日】

読売新聞によると、落語家立川談志(たてかわ・だんし 本名・松岡克由=まつおか・かつよし)氏が11月21日午後2:24(UTC+9)、東京都内病院喉頭癌(こうとうがん)で死去した。75歳。

読売によると、1952年に第5代目柳家小さん氏に入門し、1963年に第5代目談志を襲名。真打ちとなり、三遊亭圓楽氏、古今亭志ん朝(ここんてい・しんちょう)氏、春風亭柳朝(しゅんぷうてい・りゅうちょう)氏とともに「寄席落語の四天王」といわれた。1971年に当時の参議院全国区に立候補し当選。沖縄開発庁の政務次官も歴任。しかし、1983年に弟子の真打ち昇進をめぐる対立から一門一同で落語協会を脱退、「立川流家元」となった。1997年に食道癌を患い、その手術をして口座に復帰するが、2009年8月に再び体調不良から休養。その後2010年に再復帰したが、今年3月6日に行われた一門会の口座が最後の出演となった。

朝日新聞によると、談志氏の長男(45)と長女(48)は死去後の23日に会見し、談志氏が最後まで落語家を貫いたことを明らかにした。3年前の2009年に喉頭癌にかかりそれが昨年11月に再発した。その時家族には「余命2~3ヶ月」と宣告されたが、「プライドが許さない」として声帯の摘出手術を拒んだという。しかし癌が進行したため器官切開手術を施し、その後の筆談で「しゃべれるのか?声は出るのか?」と家族に話したという。また手術後にステーキを食べようとして死にかけたりするなど、最後まで、破天荒さを貫いた。

朝日によると、戒名は「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」で、自ら考えてつけたという。読売によると、後日お別れ会を開く予定。

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