訃報 山田五十鈴さん - 女優として初めて文化勲章を受章

出典:『ウィキニュース』(ベータ版)

【2012年7月11日】

山田五十鈴さん(1937年、PD-Japan-oldphoto)

映画舞台などで長きにわたって活躍し、女優として初めて文化勲章を受賞した山田五十鈴(やまだ・いすず、本名:山田美津(やまだ・みつ))さんが7月9日午後7時55分(UTC+9)、東京都稲城市[注釈 1]の病院で多臓器不全のため死去した。95歳だった[1][2][3]

新派俳優の山田九州男氏の娘として[1][2][3]大阪市に生まれる[1][2]。幼少時より清元舞踊の稽古を受け[1]、10歳にして清元の名取となった[2]。1930年、父親の知人の誘いを受けて日活に入社[3]、『剣を越えて』で大河内伝次郎氏の相方役として[注釈 2]映画デビューを果たす[1][3]溝口健二監督の『浪華悲歌』『祇園の姉妹』などの作品で高評価を受け、トップスターの座へ上り詰めた[2][3]。映画出演は260本に及び、多くの賞を受賞している[3]

1935年の新派合同公演で、父親との共演で舞台デビューを果たす[3]。その後は長谷川一夫氏と新演伎座を結成するなどした[3]後、東宝と専属契約を結んで舞台を活動の中心とする[4]。1974年の『たぬき』[2]を始めとして3度の文化庁芸術祭大賞を受賞[3]水谷八重子さん、杉村春子さんとともに「3大女優」と称された[4]。1987年には、ファンのアンケート結果を基にして[注釈 3]、「たぬき」「香華」「淀どの日記」など評価の高い10作品を集めた「五十鈴十種」を決めた[2][4]

テレビドラマ分野においても、「必殺」シリーズNHK大河ドラマ赤穂浪士[注釈 3]葵 徳川三代[注釈 2]などで知られた[2][3][4]。「ベル」の愛称で親しまれていた[3][4]。1993年文化功労者[3]。2000年文化勲章受賞[2][3][4]

プライベートでは俳優の月田一郎・プロデューサーの滝村和男・俳優の加藤嘉の各氏との結婚・離婚を経験[1][4]。1992年には唯一の血縁者であった娘で女優の瑳峨三智子さんを亡くしている[3]

2001年の芸術座『夏しぐれ』が最後の舞台出演となった[2][3]。翌2002年4月に体調不良で入院し[2][3][5]、同年秋に出演を予定していた舞台を降板して療養に専念[2]。以降は表舞台に復帰することはなく[5]、近年では京都にあった自宅も処分していた[3]

注釈[編集]

  1. 市名は東京新聞より
  2. 2.0 2.1 東京新聞より
  3. 3.0 3.1 朝日新聞より

情報源[編集]

本ニュースは毎日新聞朝日新聞および東京新聞の以下の報道を情報源としている。

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 毎日jp 『山田五十鈴さん:死去95歳 映画、舞台で活躍(1/3)』 — 毎日新聞社, 2012年7月10日
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 朝日新聞デジタル 『女優の山田五十鈴さん死去、95歳 「必殺」で活躍』 — 朝日新聞社, 2012年7月10日
  3. 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 3.13 3.14 3.15 3.16 TOKYO Web 『山田五十鈴さん死去 女優初の文化勲章』 — 東京新聞社, 2012年7月10日
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 毎日jp 『山田五十鈴さん:死去95歳 映画、舞台で活躍(2/3)』 — 毎日新聞社, 2012年7月10日
  5. 5.0 5.1 毎日jp 『山田五十鈴さん:死去95歳 映画、舞台で活躍(3/3)』 — 毎日新聞社, 2012年7月10日