奈良県・纒向遺跡に3世紀前半の大型建物跡発見 邪馬台国中枢施設か
出典:『ウィキニュース』(ベータ版)
【2009年11月13日】
邪馬台国の有力な候補地とされている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半の大型建物跡が発見された。桜井市教育委員会が11月10日(UTC+9、以下同様)発表した[1][2][3]。
発見された建物跡は、同時代のものとしては日本国内最大級の面積であり、邪馬台国の女王・卑弥呼(248年頃死去)の時代と重なることから、専門家は「邪馬台国の中枢施設[1]」「卑弥呼の宮殿[3]」なのではないかと指摘している[1][3]。畿内説と九州説で争われている邪馬台国の所在地論争で、畿内説の後押しとなる発見であり、論争に大きな影響を与えると見られる[1][2][3]。
確認された建物跡は、南北19.2メートル、東西6.2メートルにわたって柱穴が並んでいる[2][3]。また西側にある、6世紀に作られた溝によって削られている部分にも同様の柱穴があったと判断され[1]、市教育委員会は東西幅が12.4メートルであったと推定している[2][3]。建物全体は、床面積約238平方メートルの高床式建物で[3]、高さは約10メートルと推定されている[2]。これは、邪馬台国九州説の候補地のひとつである吉野ヶ里遺跡(佐賀県)の最大の建物(床面積約156平方メートル[3])の約1.5倍の大きさである[2]。
この建物跡の西側には、過去に行われた発掘調査によって確認された3棟の建物跡があり、今回の建物はこの3棟と共に東西方向に計画的に配置されていた[1][2][3]。このような計画的な建物配置は、飛鳥時代の宮殿などにおいては一般的なものとなるが[1]、同時期においては日本国内で例のないものであるという[2][3]。
石野博信・兵庫県立考古博物館長は、「邪馬台国が纒向遺跡にあったという有力な根拠。建物は同時代に例のない大きさだ。魏志倭人伝にある卑弥呼の宮室にあたるのではないか」と話している[2]。
[編集] 情報源
本ニュースは「朝日新聞」と「毎日新聞」、「共同通信」の以下の報道を情報源としている。
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 asahi.com(渡義人) 『3世紀前半の大型建物跡、邪馬台国の中枢施設か 奈良』。朝日新聞社、2009年11月10日。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 毎日jp(高島博之) 『奈良・纒向遺跡:3世紀前半の大型建物跡 邪馬台国か』。毎日新聞社、2009年11月10日。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 3.8 3.9 47NEWS 『卑弥呼の宮殿か、奈良で建物跡 邪馬台国畿内説、後押し』。共同通信社、2009年11月10日。